兼平もんじの 山と川と大地と・・・

山歩き サイクリング 淡水魚釣り バードウォッチング 山野草 アウトドア日記です。

幻の大仏鉄道























クラブツーリズムのツアーに参加してきました。
わたしにとって二回目のクラツーのツアー。一回目は昨年の秋の「蒜山ウォーク」
そして今回は

案内人同行!100年前の橋脚が残る
『幻の大仏鉄道』遺構めぐりウォーキング

このクラツーのツアーは現地集合で現地解散。乗り物は一切なし。ただひたすら案内人と歩くだけのツアーです。

11月5日(土)10時30分JR関西線加茂駅集合。


今回の参加者は三十数名と言うことでABCの3班に分かれて案内人に付いて歩きます。
私はC班。弁当を受け取りA班からスタート。
前の班に追いつかないよう少し時間を置いてからスタート。



大仏鉄道とは?
明治時代名古屋方面から奈良大阪方面に進出を目指し、加茂駅から奈良までを結ぶ私鉄の鉄道のこと。
明治31年開業し、同40年には廃止された、僅か9年余りの短い期間走ってた鉄道のこと。



まずは駅前に展示してある機関車の動輪。
これは大正時代のもので当時は日本中の鉄道で活躍してたとの事。







ランプ小屋
明治30年のもの。照明用の油を補完してた小屋。
このほかホームの一部に当時のレンガ積などがまだ残ってるのを確認。
早々に100年前にタイムスリップ。




少し歩いてC57機関車の展示場に。
昭和12年の生まれで、スピードが自慢で急行列車など引っ張り、スタイルの良さで日本全国で活躍したそうです。























ここからしばらくは田んぼの中の道を歩きます。
風は冷たいですが周りに広がる田んぼから山々まで私の大好きな風景が広がってます。

ここからは私が数回登ってる三上山。2回登った鷲峰山がくっきりと見えて楽しくなります。


三上山と右奥の 鷲峰山






















私がなぜここを歩きたかったか、そのきかっけの場所が左の写真の道。
なんの変哲もないのんびりした川沿いの道なのですが、実はここを過去2回ほど自転車で走ってるんですね。
こんな道が好きで、地図も持たずいつも行き当たりばったりで走ってますから。「あ!ここ来たことある」なんてよくあることで。この道も十年以上も前に走っていました。

そしてこの先にあるのが観音寺橋台。
当時もここにきて「何か古そうなこの石組は何だ」と・・・・
今は立派な案内板が有りますが当時はなかったのでその時はわからなかったのですが、後に100年前の橋脚であることを知って、確かその2~3年後にまた走りに着ました。
そして今日はじっくり見て回れるツアーを見つけたので参加したと言う次第です。




















手前の石組が100年前の橋脚。先に見える橋がこれ現在の関西線の橋脚。
驚くなかれ、この関西線の橋脚も手前の石組の橋脚と同じように100年前に作られたもの。見かけは一緒でした。現役でいまだに使えるびくともしない技術は凄いものです。


田んぼ道から山の中に入ってきました。
田んぼ道と言い、山ん中と言い、私にとってウキウキしたくなるような場所です!(^^)!

当時の機関車にとって、この山越えが大変だったらしい。
機関車が二両連結の場合は良かったが、一両だと途中で止まっ

てしまって、乗客や沿線の住民みんなで押したと言うこと。
何という時代なんでしょうか。

今のような大きな客車ではなく
マッチ箱のような数人乗りの客車をいくつか引っ張ってたそうですから可能だったんでしょうか。




鹿背山橋台
先ほどと同じ石組ですが、こちらは狭く水路を確保するためのもの、そうなんです、当時は百姓、米つくり最優先。先ほどの観音寺橋台は馬車等を通すもの。こちらは水と歩行者を通すもの。




















それにしてもたったこれだけの隙間のために大変な工事をしたわけですね。

梶ヶ谷隧道
ここは御影石とレンガ組の美しい造り。




















この積み方はイギリス積と言うことで、当時この路線はすべてイギリス製、冒頭の赤い機関車も線路もすべてイギリスからの輸入物。
当時日本には製鉄所すらなかった時代ですから、当然他の路線の機関車もイギリスの他アメリカ、フランス製だったようです。




















先ほどと同じように、人馬を通すためとはいえ、凄い手間のかかる工事をしたものだと感心させられます。

赤橋




















ここも御影石とレンガの組み合わせ。しかも100年たった今も現役で上は道路となってます。



この辺りで住宅地にに突入。
木津川市内の新興住宅の開拓は目を見張るものがあって、チャリで走っても住宅を始め、お店から公共施設まで凄いスピード感で広がりを見せています。

梅見台公園着が1時前、トイレ、昼食タイム。


松谷川隧道
梅見台公園の近くの大きな交差点の下にあります。ここも人馬が通れるように、また下には水路も確保されてます。




















レンガ積がとても美しいです。

この後鹿川隧道が有りましたが、かなり回り道をしなければならないと言うことで、隧道の真上に立ってこの下ですと・・・・



この辺りはず~と車の多い通りを歩いて行きます。
奈良県に入りました。


そして今まで見てきたのはみんな沿線住民の生活を確保するための隧道や橋台だったのですが、今度はこの大仏鉄道が通ったトンネル。下の写真です????





















ここに昭和39年まではトンネルが残っていたそうですが道路拡張でなくなってしまいました。
当時のこのトンネルとその様子が冒頭のイラストになるわけです。赤い機関車なんて想像しただけでも楽しいですね。






















後は街中を歩いて大仏駅跡に行くだけとなりました。

右手に奈良ドリームランド跡地。
ここは子供が小さい頃来た思い出があり、また車のヘッドライトを付けっぱなしでバッテリーがあがってしまって困ったと言う苦い思い出の地でもあります。



そして住宅地を間を縫って最終の大仏鉄道終点の大仏駅跡に。




















当時は名古屋方面からの大仏詣で大変なにぎわいを見せてたそうです。
大仏駅と言っても、大仏さんまでは1kmほど歩くようです。
開通翌年にはここから奈良駅までつながったとの事。
そして開通翌年からは乗客数が年7万人前後が利用したが、9年後には激変、理由はなんと現在の関西線に近い形のほぼ平坦な路線が開通したからだそうで、
最初で紹介したように観音寺橋台は現在の関西線と大仏鉄道の橋台が同じ100年前のものと言うことは、なぜかこの2路線並行して作られていたことになります。

そして9年余りでこの大仏鉄道は廃止になりましたと言うことです。
なぜ幻の鉄道なんでしょうか。
実は廃止になった数か月後後、この辺りの鉄道は国有化(旧国鉄)されたそうです。そのため資料受け継がれず、ほとんど残ってないそうです。国鉄に受け継がれた期間が有ればたぶん資料も残っていたのではないかと言うことでした。


3時過ぎ全員無事近鉄奈良駅に到着
約10km4時間半の遺構ツアーは終了しました。

最後に、このコースはっきり言って、案内人が居ないと無理なような気がします。
イラストマップを頂きましたがこれで回れと言われても難しいものが有ります。
今回の案内役は地元のボランティアガイドの方。行かれる方は一度木津川市観光協会に問い合わせたらと思います。

私の自信のない記憶と、ガイド冊子を参考に書きました。
間違ってる箇所があるかもしれません。ご容赦を。